演劇としての「近松」
         ――『曽根崎心中』を弾いてみると――


Page3  『曽根崎心中』を読む・その2





◎ふたりのからみ

次、行きましょか。ちょっと一回読みますわ。

『アゝいかう気が尽きた。門(かど)見て来うとそっと出で、なう是はどうぞいの。こな様の評判いろいろに聞いた故、其の気づかひさ気づかひさ。気違(きちがひ)のようになってゐたわいのうと。笠のうちに顔さし入れ。声を立てずの隠し泣。あはれ。切なき涙なり。男も涙にくれながら。聞きゃるとほりの巧(たく)みなれば、いふほどおれが非に落ちる』

ま、こういうことですね。
徳兵衛が来たんで、やっとそばまで行って、どうしたの、ということを言ってるんですが。
問題があるのはですね、「あわれ切なき涙なり」ですね。
これでお初のところが切れてしまう。お初の文章がぷつりとここで切れるんですね。
で、新たに「男も涙にくれながら」ということなってるんですね。

これはちょっと読んでいただければわかると思うんですが、現在こういうやり方はしておりません。

『「徳さんかいの、どうしてぞ、こなはんの評判いろいろに聞いたゆゑ、その気遣ひさ、気遣ひさ。気違ひのやうになっていたわいの」と笠のうちに顔差入れ、人目はゝ゛かる忍び泣き』

で終わりなんです。
「忍び泣き」してるところへ、「男も涙にくれながら」とはいるんですね。

文章ってのはあんまりぶつぶつ切れてしまうと、かえって訳わからなくなる。
演劇ってのはそうでしょ。
誰かとむかいあって喋ってて、喋り終わったらむこうが返してくる。そういう部分て多いでしょ。
そこにト書きがはいってですね、「哀れ切なき涙なり」なんて。
わかってるわい、みんな(笑)、ですよ。
近松さんの時代ってのは古かったんでしょうね。こしらえ方が。
非常にト書きが多いんで、くたびれるんです。

わたしも近松ものを復曲することがあるんですけどね。
文章がぷつぷつ切れますし、ト書きばっかりなので、作曲しにくかったり、復曲しにくかったりするんですけどね。
おわかりですかな。このへんが。

どなたか、読みたいという方があったら、手をあげて。
どっちでもいいですよ。わたしはこっちが好きやという方があったら読んでいただきたいと思うんですけども。
お静かですね。(笑)

――読みま〜す

あ、すごい、じゃマイクを。現役のかたですね? 

――はい 

えらい! 拍手ですよ〜。(拍手)
どちらでもいいです、お好きなほうを。読みやすいほうを読んでください。

――床本朗読

はい、そこまでで。(拍手)
ね? わかったでょ。これ、七五調にしてあるんですよ。ね? 
彼女は上手やったけども、タタタといったでしょ。
数勘定してくださいな。五五五とか、五五六とか。
いや結構でございました。ありがとうございました。これ(手拭い)、彼女に。
いやほんとにね、ああやって読んでいただくとよくわかるんです。

次、行きましょうか。
これから打ち掛けの中に徳兵衛を隠して、縁の下に連れていくという有名な場所なんですけども。
読みますね。

『男も涙にくれながら。聞きゃるとほりの巧みなれば、いふほどおれが非に落ちる。其の内四方八方の、首尾はぐわらりと違うて来る。もはや今宵は過ごされず、とんと覚悟をきはめたと。さゝやけば内よりも、世間に悪い取沙汰ある。初様内へはいらんせと、声々に呼び入るゝ。オウ。オウあれぢゃ』――これ、そうとうややこしいですね――『オウ。オウあれぢゃ、何も話されぬ。わしがするやうにならんせと。打掛の裾に隠し入れ、這ふ這ふ中戸(なかど)の。沓脱(くつぬぎ)より忍ばせて。縁の下屋にそっと入れ 上口(あがりぐち)に腰うちかけ。煙草引寄せ吸いつけて、そしらぬ。顔してゐたりけり』

というような訳でして。
「とんと覚悟をきはめたと。ささやけば、内よりも」とこれがいかん。
これつらいですね。読んでみたらわかると思うんですが、非常に読みにくい。
「とんと覚悟はきわめた」これは徳兵衛ですよね。
徳兵衛が、これは具合悪いわ、今日中になんとか心中せな話にならんわ、みたいなことですわね。
「内よりも」というのは、これは天満屋の内ですね。
亭主が突然騒ぎだすわけですね。
「世間に悪い取沙汰ある」というのは台詞で、天満屋の亭主ですかね。
「初様内へはいらんせ」、これはまあ下女か朋輩衆か、どっちかでしょうね。
突然台詞になるんですね。
芝居としてはちょっと無理があるんで。
やっぱりよくないということで、変えてしまったんだと思うんですけども。

ぼくが言ってる「よくない」というのは、近松さんが悪いという意味じゃなくて、演劇として成立しないという意味なんで、誤解しないでいただきたいんですけども。
これを改作するとですね。

『男も涙にくれながら、「面目もない今日の仕儀、そなたばかりは解ってくりょう。殺してやりたい九平次の極悪人奴が。たくみにたくんだ仕業なれば、どういふたとて理が立たふか。いふほど俺が非に落ちる、そのうち四方八方の、首尾はぐわらりと違ふて来る。所詮生きては世間も立たず、もはや今宵は過ごされず、とんと覚悟を極めた」と声音もふるひ囁けば、こなたも底意、目のうちに、うるむ涙ぞ誠なれ。折にうちより亭主の声』

と、「折にうちより亭主の声」というのがいれてあるんですね。
これがないとやっぱ具合悪いですよね。
なんにもなしに突然、急に悪い取り沙汰といわれても、訳わからないですからね。

『「初コレ初や。世間に悪い取沙汰ある。表は人目、うちにゐや、うちへはいってゐやいのふ」』――と、亭主はこれで一応終わって――『「初さん呼んでぢゃ、入らしゃんせ」』――というのはまあ、友朋輩かなんかでやってるんでしょうね――『と高ら声に呼入るる。「エヽモあれぢゃもの、なんの話もしていられぬ。いやぢゃあろうが暫しが間、わしがするやうにならんせ」と、恋し男を打掛の、裾に忍ばせ隠し入れ、はふはふ中戸の沓脱より、縁の下屋にそっと入れ、上り口に腰打掛け、煙草引寄せ吸ひつけて、そしらぬ顔してゐたりけり』

と、こう変えてあります。
ここ誰か読んでいただけませんでしょうか。
ああ、はい、お願いします。

――若い女性。床本を読む。(拍手)

みんな、原文読みたがらないですね。(笑)
やっぱり読みやすいでしょ。改作の方が。
ぼくが読んでても、原文のほうはコツコツあたるでしょ。
じゃ、いまのところ、演奏をするとどうなるか。
打ち掛けにいれるところ、やってみます。

――錦糸さんの弾き語り

こうなるんです。(拍手)
弾き語りするの、これ大変なんですよ。
大夫さんとやっても合わないときがあるんですけどね。


◎九平次登場

では次、行きます。
ここで、悪者九平次が出てきます。
ここの文章面白いんで、原文を読んでいただく方と、改作を読んでいただく方を、事前に決めておきたいと思います。
原文を、さっき近松を勉強しておられると言ってた彼女。お願いします。
それから改作を、誰いきましょかね。
OGから、そうですね。わざわざ大阪からいらした××さん。
すごいOGです。すごいOGって言い方悪いですね(笑)。
じゃ、まずわたし読みます。原作読みますよ。九平次の出です。

『かゝる所へ九平次は、悪口仲間二三人。座頭(ざとう)まじくらどっと来り。ヤアよね様たち、淋しさうにござる。何と客になってやらうかい。何と亭主久しいのと。のさばり上れば、それ煙草盆お盃と。ありべかゝりに立騒ぐ』――「ありべかかり」って、通り一遍にってことらしいですけどね――『イヤ酒はおきゃ、飲んで来た。さて話すことが有る。これの初が一客平野屋の徳兵衛めが。身が落した印判拾ひ。二貫目の贋手形で騙(かた)らうとしたれども。理窟につまってあげくには。死なずがひな目に逢うて、一分はすたった。向後(きゃうかう)こゝらへ来(きた)るとも油断しやるな。皆にかう語るのも、徳兵衛めがうせ、まっかいさまにいふとても。必ずまことにしやるなや。寄せることもいらぬもの。どうで野江(のえ)か飛田(とびた)ものと。まことしやかにいひちらす』

と、こういうことです。読みにくいでしょ。
じゃそこを、さっきの彼女。
だから、さっき近松勉強してると、言っちゃったのが因果です(笑)。
ではお願いいたしします。

――近松を勉強している女子大生。読む。(拍手)

難しい文章使えばいいかといえば、そうでもないんだよね。
ご苦労さまでした。
ちょっとわかりにくい文章なので説明しますと。
「どうで野江か飛田もの」というのがありますね。
野江とか飛田というのは地名でしてね、刑場と墓場のあるとこですね。
どうせこんなものは獄門や、そういうことなんでしょうね。
では、改作した方をよろしくお願いします。

――『かゝるところへ九平次は、廓(くるわ)に好かれぬ粋(すい)気取り、ほろ酔ひ機嫌千鳥足、鼻唄まじり天満屋の、うちをのぞいて、「ヤア、こりゃ妓(よね)さん達、淋しさうにござるの。どうぢゃ、この九平次さまが客になってやらうかい、なんと亭主。久しいの」と、のさばり上がれば、「それ煙草盆、お盃よ」と立騒ぐ。「アゝいやいや、酒はおきゃ、飲んできた、さて話すことがある。みなこれへ寄りゃ」と煙管(きせる)とり出し吸付けの、煙草の煙、輪に吹いて、「これにゐる初が客、平野屋の徳兵衛めが、わしが落した印判拾ひ、二貫目の偽手形を書いて、このおれを騙(かた)らうとしたものぢゃ。もとより根もない嘘八百、理屈に詰って挙句には、のぼせ上って喧嘩沙汰、町内衆にさへぎられ、却って徳兵衛散ざんに、死ぬるばかりの目に合ふて、かはいや男の一分は廃(すた)った。この後こゝらへ来(きた)るとも、必ず油断しやるなや。みなにかう語るのも、徳兵衛めが失せおって、鷺(さぎ)を烏(からす)といひくろめ、まっかいさまにいはうも知れず。なにをいはうと誠にしやるな。寄せることもいらぬぞや。どうで野江か飛田もの、末は烏の餌食ぢゃあらう。悪の報ひは怖ろしい」とまことしやかにいひ散らす』――(拍手)

ありがとうございます。
「まっかいさま」は、さかさまということですね。
おれと反対のことを言っても信じちゃ駄目だよと。
「まっかいさま」というのは、大阪弁では死語ではないです。
住大夫師匠あたりの年代ではいまでも使ってます。若い人は使いません。
九平次の出てくるとこをイメージしていただけますか。
じゃ、そこんとこ、ちょっと弾いてみましょう。

――錦糸さんの演奏

――もう一度改めて実演しながら
「〜廓に好かれぬ粋気取り、ほろよい機嫌千鳥足〜」
ここはこんな弾き方するんです。
やなヤツですから、ちょっとクセつけまして、こう弾かないかんのです。
そしてよろよろとしてる。
これぼくね、稽古で教わって笑ろたんですけど、つまずくんだと。
そういうつもりで弾けと。(笑)
ほんとに人形がつまずいているかどうかは知りませんけどね。
「〜鼻唄まじり天満屋のうちをのぞいて〜」
ここもわかります? のぞいてる感じですね。
三味線もやっぱ芝居してないかんのですよ。(笑)
笑っておられますけどね、これに生命をかけてるんですから。(大笑い・拍手)
三味線で聞いてて、模様が見えてくるようにならんといかんのですね。

だからさっき言ったように、枕の、冒頭の部分というのは重要になります。
そこでこう、遠くから遊郭がぼーっと見えて。大夫さんがすっと語りだすと、お客さんが惹きつけられる。
人形遣いというのは、それに合わせて、ま、合わしてるわけじゃないですけど、のってくれて芝居をしているだけというふうに、考えてください。
もちろん、合わしには来ませんよ。
ただわたしらの浄瑠璃が悪かったら、人形が立たないんです。文楽とはそういうものです。

今日ちらしもってきましたから。
今度9月に『芦屋道満』出ますんで。これが3人遣いのスタートです。
女子大同窓会主催の観劇会というのもごさいます。よろしくお願いします。


◎まとめと、おまけの三味線

時間、まだありますか? 10分くらい? じゃどうしましょうかね。

――その10分、お三味線聞きたいです(拍手)

困りますね。(笑) そうですね。

じゃあまあ、文章については一応ここで区切りまして。
だいたいおわかりいただけましたか。
近松のすごさというのもおわかりいただけたでしょうか。
枕の文章ひとつでもって、全部つくっちゃってるわけですよ。あとはもう付け足しみたいなとこもある。
そういう才能ってのはほかにないですね。
そして、現在やってる『曽根崎心中』というのも、けっしていい加減なものではないです。
逆に、親切にわかりやすく近松をアピールしてると。そう思っていただきますと。ぼくはいちばんありがたいですけども。
近松のものはみんな改作になってるんですから。

テーマはすばらしいです。いわゆる、ワイドショー感覚ですね。
たとえば、昨日の夜中に事件があったとしますね。
もうちょっとして、そんな話が舞台にかかる。
先月の事故なら、当然もう国立劇場にかかってる。
そういうような感覚で、近松という人はやってる。それでドラマをつくってる。
ぜんぶタイムリーですわ。そこはやっぱり天才だと思う。
だから、その中で非常に面白いんだけど、ちょっとこれは演劇としてはむかないなというのを、ぜんぶ脚色しなおして、改作にして、残してるわけなんですね。
近松に関しては、ひと言でいうの、難しいんですけどね。そんなふうに思っていただくといいと思います。

それで三味線ですが。表現の仕方にもいろいろありまして。
天満屋のおしまいのところ。行きましょうか。
あのあと九平次がごじゃごじゃと言いまして、お初と縁の下にいる徳兵衛が、足首撫でて一緒に自害しよと、心中に出ようと覚悟をする有名な場面があります。
それがすみまして、お初のクドキもすみまして、一番最後に、お初が二階にあがるところがあるんですけど。
ここはすべて状況描写みたいな感じなので、こういうの、非常に面白いと思うんで、ちょっとやってみます。

――錦糸さんの弾き語り
『「そなたも二階へ上って寝や」「そんなら旦那さま、うちの衆もさらば、おやすみなされませ。お目にかかるも今宵ぎり、さらばさらば」も口のうち、暇(いとま)乞ひして閨(ねや)に入る。これ一生の別れとは、後にこそ知れ気もつかぬ、愚かの心不便さよ』

ここまでは説明です。もう一生会えませんよと、心の内でつぶやいている。
「〜お目にかかるも(間)今宵ぎり〜」
ここでちょっととまるんですよ。こういうところでちょっと暗示する。イメージを起こさせるような演奏の仕方をします。
それからそのあと。

――弾き語り
『誰がしら川の高いびき。はやもれ聞え夜はいつか、更けし廓の火廻りの、析(き)の音(ね)に冴ゆる星の空、「火の用心、ごよざ」の声も眠気に流れけり』

ここは、チチンチチと、析(き)を打ってるような感じとかね。
「〜火のよ〜〜うじん、ごよ〜ざ〜の声も〜」ここは眠そうにやる。
「ごよ〜ざ〜」の声が流れてくるような感じに弾けっていうんです。
まあそういう表現、いちばん難しいんでしょう。




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