演劇としての「近松」
         ――『曽根崎心中』を弾いてみると――


Page2  『曽根崎心中』を読む・その1




◎『曽根崎心中』は改悪か

まず、『曽根崎心中』ですけども。
これはですね。非常にストーリーは単純ですし、ものすごくお客さんの受けがいい作品なんですね。

ところで、ある研究家の方が、「『曽根崎心中』は改悪だ」というようなことを新聞の劇評に書かれたんです。
「改悪している、これは『曽根崎』じゃない」と、こういう書き方されたんですね。
でもこれはもう昭和30年代からずっとやってるんです。
非常に評判がいいんです。
ただ文章は変えてます。
で、「近松作」としてあるんです。
それなのにそこまで書かれるのはねえ。
お客さんにも失礼だと思うし、やってるもんにしたって、よかれと思ってやってるのに、「改悪」というのはちょっとおかしいだろう。
そういう考えがあって、今日はこの企画をもってきたんですけども。

「改悪」というのはですね、近松を無茶苦茶にしてしまうということでしょう。
でも近松のよさを残して、なおかつお客さんにわかりやすくストーリーを運ぶためにやってるわけですから、これは「改悪」というのはちょっとひどいんじゃないかなと。
それに、お客さんには支持されているわけですよね。
『曽根崎』出せばかならず満員になっているんです。
非常にわかりやすい。
海外にもっていってもわかりやすい。
すごく評判がいいです。
だから今日は、ほんとに「改悪」なのか、そうじゃないのか、それを読み比べてみたいと思うんです。


◎『曽根崎心中』ストーリー

ストーリーは非常に簡単です。
出てまいります登場人物、おもだったところが。
醤油屋の手代で徳兵衛というのが25歳ですね。
それからお初、これが19歳くらいですかね。天満屋のお抱えの遊女です。
それから、油屋の九平次という、これは悪ですわ。

どういう話かというと。
徳兵衛がお初という遊女に馴染んでいて、一緒になりたいわけですね。
ところが親方筋で、二貫目の金つけて結婚せえという相手が出てくるわけです。
親方が在所のお母さんにそのお金をわたすとですね、お母さん、受けとっちゃうんですよ。
継母なんですけどね、因業な人でね。
勝手にお金だけ受けとって、そのせいで結婚させられそうになる。
この二貫目ってのは、三十三両らしいんですね。
その時分に三十両ものお金つけて結婚させるってのは、よっぽど恵まれてるのか、それともなんかあるのかなと。(笑)

とにかくそのお金を、なんとかして継母から取り返すんです。
で、取り返してきたお金をですね、こんどは油屋の九平次っていう、これ悪ですが、友達なんですよ。
それが、「ちょっと頼むから貸してくれ」と言ってきたので、証文きっちり取って、貸すわけです。
その時分はハンコというのが非常に大事なんですね。印判を押すということが。
この九平次というのが悪いヤツで、そのとき押した印判、実は、前に落として失くしたという届けを出してたやつなんですよ。
で、金を返してくれと証文もってったら、「印判違うよ」と。
「これはだいぶ前に落としたやつだ。おまえが拾って勝手に証文をこしらえたんだろ」と。
こういうことを言うんですね。

もう、無茶苦茶なんです。ぜんぜん人間的でないヤツなんです。
ですから、話としてはくっきりしてます。
あまりに裏側がないのんで、ちょっと単純すぎるかなとも思うんですけど。
だいたい人形ってもんは、出てきただけで、顔見ただけで性格わかります。
あ、これはいい人だわとか。(笑)
海外公演でもね、簡単でよくわかるらしいんですよ。
九平次が出てくるとね。見るからに卵塗り(敵役人形のきまりの顔色)で、眉毛こないになっててね(太々黒々のつり上がった眉のジェスチャー)。
ワルやワルやって、指差してわーって言ってますよ。
だからそれほど簡単な芝居なんですけど。
簡単な中にいろいろ仕掛けがあって、面白くできてるんです。

つまりはこの三人がテーマになっていて。
徳兵衛ははめられてしまったわけですね。
で、いまさら騒いでもかえって罪が深くなるだけだから、お初と一緒に逃げて、曽根崎で心中するという。
そういうお話でございます。
以上。で終わったら、具合悪いですね。三味線も何も弾いてないですから。(笑)


◎枕を読む

じゃ、ま、とにかく、みんなで読みましょうよ。
声に出して読むっていうのはね、いいんですよ。黙ってこう読んでたら退屈でしょ。
だから、ぼく一度読みますからね。
え〜っと。岩波書店、古典文学体系による原文と、現行の床本と、資料が2枚ありますよね。
で、いちばん冒頭の部分いきますね。

『恋風の、身に蜆川(しじみがわ)、流れては、その虚貝(うつせがい)、現(うつつ)なき』
――いい文章ですね、これね――
『色の闇路を照らせとて、夜毎に灯す燈火は、四季の蛍よ雨夜の星か、夏も花見る梅田橋。旅の鄙人(ひなびと)、地の思ひ人。心ごゝろの訳の道、知るも迷へば知らぬも通ひ、新色里と賑はしゝ』

これが枕文句です。
冒頭部分、これがすべてを象徴しているわけですね。
この部分は非常にいい文章です。素晴らしい文章です。
さすがに天才ですね。

近松という人は、枕の文章は抜群にうまい人なんです。
「この世の名残、夜も名残」というのがあります。
このあとの、心中に行くときの道行なんですが。これももう名文句でしてね。
ちょっと読んでみましょか。資料には出てないんですけども。

『この世の名残、夜も名残。死にに往く身をたとふれば、あだしが原の道の霜。ひと足づつに消えてゆく。夢の夢こそ哀れなれ』

こういう文章です。
また、この前の場面にですね、「生玉」というところがありまして。
徳兵衛がはめられるところなんですけど、ここも枕文句が非常にいいんですね。

『立迷ふ、浮名を余所(よそ)に漏らさじと、包む心の内本町。焦がるゝ胸の平野屋に、春を重ねし雛男(ひなおとこ)、一つなる口、桃の酒、柳の髪もとくとくと、呼ばれて粋(すい)の名取川。いまは手代と埋れ木の、生醤油(きじょうゆ)の袖したゝるき。恋の奴に荷はせて、得意を巡り生玉の、社(やしろ)にこそは着きにけれ』

これは徳兵衛の名前も折りこんでますし、徳兵衛の商売も全部折りこんであるんですね。
醤油屋の手代の徳兵衛だから、とくとくと、とかね、実にうまいですね。
だいたいこの場面が頭に浮かんでくるくらい、見事なんですね。

じゃ、もとにもどりますが。
「恋風の」からですね。
いまの部分、誰か読みたいって方、おられますか?
感情をこめて読んでいただいたらですね、私が感情をこめて下手な浄瑠璃を語ろうと思いますが。(笑)
まず読んでいただきたいですね。これ非常にいい文章ですのでね。
どなたかございますか。

(し〜ん)

先生(女子大の教授)、どうですか? (笑) じゃ、先生に読んでいただきましょう。

――どちらを読みましょうか? 

あ、これ、原文も改作も一緒なんです。これは名文なので。

――先生、堂々と朗読。(拍手)

ありがとうございました。
「身に蜆川」、ですけどね。
蜆川ってのはいまはないんですけども。
「身に染む」というのにかかってるんですね。
好きですねえ。近松はうまいですねえ。
「恋風が身に染みますよ」、と。色っぽい文章ですね。
「その虚貝、現なき」、「虚貝」ってのは、貝殻のことでしょうね。「現なき」ってのは「うつろになってしまう」ということですね。
「色の闇路を照らせとて」、遠くからね、曽根崎新地の遊郭の明かりをながめてる雰囲気と思ってください。
そこに蜆川がこう、だ〜っと流れている。
遠くから見ると、いわゆる遊郭ってのは不夜城みたいなものですから、明かりがついてて。
それがまあ、「夜毎に灯す燈火は、四季の螢か雨夜の星か」ということですね。
「夏も花見る梅田橋」。梅田橋から見ていると、いつでも明るくて、花が咲いているようだという意味でしょうね。
「旅の鄙人、地の思ひ人」、よそからきた人も田舎の人も、地元のお馴染みさんも。
「心ごころの訳の道」みんな、いろいろあって通っているわけですわ。(笑)
前列のお父さん、ようおわかりになるようで。(笑)

わたしも一応三味線弾きですから、このへんで弾かしていただきたいんですが。(拍手)
わたしは三味線弾きなので、浄瑠璃は下手ですよ。それだけはわかっといてくださいよ。
あとで、下手やとか言わんといてくださいよ。(笑)

――枕部分の弾き語り演奏

これ、なかなか難しいんですよ。枕ってのは。
何が難しいいかというとね、雰囲気出さないかんのですよ。
いまこれね、いつもよりか調子低いんです。
なぜかというと、ぼくら、弾き語りするのにね、ふつうの調子やったら声が出ないんです。
大夫さんがいかに高いピッチで声を出してはるか、わかると思うんですけども。

この弾き出し、いちばん最初にこう弾きましたね。(三味線実演)
これ、なんとはなしに弾いてるんじゃないんですよ。
やっぱこれ、思いがあるんです。
なんか色っぽい雰囲気があるでしょ。(笑)
(三味線) ここはふわっと、なんか飛んだような感じ。
枕文句に「四季の螢」という文章がありますけど。「星が飛ぶ」とか。そういうイメージで弾けっていうんですね。
「〜身に蜆川〜」こういうとこはですね、「〜流れては〜」こう弾くんです。
ふつうやったら、こう弾くんですけど。(実演)

蜆川なんてのはたいした川じゃなくて、どろ〜っとした川なんです。(笑)
いやこれほんとですよ。ぼくは見たことはないですけどね。
いまはもう埋め立ててなくなってますから。でもそう言われてるんですよ。
夜もね、むこうのほうに遊郭の明かりが、行きたいなと思ってると、水へ映るんです。
行きたいなと思ったら、みんな行っちゃうんです。(笑)
『冥途の飛脚』でもね、「いてのきょう」とかってね、お金もって、「遊びに行こうかな、やめとこかな」とかありますけど、ああいうのは最初から行くつもりなんです。(笑)
人間の心理ってのはそうなってるんです。

ま、ここまでが枕文句で、遠くから遊郭をながめてるという雰囲気で。
非常に名文だというんで、現在もこの文章をそのまま使っておりまして。
語ってる大夫さんも、ここは非常に気持ちがいい。
さっき先生が読まれたけど、すーっと読まれたでしょ。なんやすーっと聞こえたでしょ。
先生の読み方がよかったのか。知りませんよ、そりゃ。(笑)
文章ってそうなんです。やっぱり日本人ですから、日本人のDNAには七五調が刻まれてるんです。
昔の万葉からして七五調やし、俳句短歌は言うに及ばず、七五調じゃないものは、なんかちょっとへんだなと思うでしょ。
こう指で折らなくても、聞いてるだけで、字余り字足らずっての、わかるでしょ。


@お初登場

では次ですね。この次からが、ちょっとずつ変わってくるんですね。
まず原文を読みます。

『むざんやな、天満屋のお初は、内へ帰りても、今日のことのみ気にかゝり。酒も飲まれず気もすまず、しくしく泣いて、ゐるところへ』

ま、ここまでは現在も使ってます。これもすっと読めますよね。
これからなんです、問題はね。

『隣のよねや傍輩の、ちょっと来ては、なう初様。何も聞かんせぬか。徳様は何やら訳の悪いこと有って。たんとぶたれさんしたと聞いたが、ほんかというも有り』

「というもあり」ですね。それからですね、そのあといきますよ。

『イヤ、わしが客様の話ぢゃが。踏まれて死なんしたげなといふもあり。騙(かた)りをいうてしばられての。偽判(にせはん)してくゝられてのと。ろくなことは一つもいはず。問ふにつらさの見廻(みま)ひなり』

これ、誰か、読みたいって人あります? どなたか。
じゃもう一遍ぼく読みますね。
最初は原文も床本も一緒なのでとばします。そのあとからいきます。
「隣のよねや傍輩の」“よね”というのは、遊女ですね。「妓(よね)衆」のよねです。
「ちょっと来ては」このあとからセリフでしょうね。
「(浄瑠璃の声色で)のう、初様」(笑) 何? 気持ち悪いですか?(笑)
「何も聞かんせぬか。徳様は何やら訳の悪いこと有って。たんとぶたれさんしたと聞いたが、ほんか」まで言葉、台詞でしょうね。
「というもあり」これはト書きです。
「イヤわしが客様の話ぢゃが。踏まれて死なんしたげな」と、これが台詞でしょうね。友朋輩ABで、いまのがBの方です。
「騙りをいふてしばられての、贋判してくゝられての」これは、どっちかが言ってるんでしょうね。
「と。ろくなことは一つもいはず、問ふにつらさの見廻ひなり」

これは非常に読みにくい。
どこをどういうふうに切っても、もう大汗の文章ですよね。わかります? 
じゃ、この部分をですね、現行ではどないやってるかというのを、読みますわ。

『友朋輩(ともほうばい)の妓衆(よねしゅ)たち、慰め顔に、「ノウ初さま。お前はなんにも聞かんせぬか。徳さまはなにやらわけの悪いことあって、たんとぶたれさんしたと聞いたが、そりゃまあほんのことかいな」』

どうです立て板に水でしょ。
やっぱりしょうがないですよ、これね。
人間出てきて台詞言うんだったら、もうちょっと台詞らしくしとかんと、芝居になりにくいんですね。
で、そのあとまたありますよ。

『「おおそれいの」』――これ、遊女Bですね――『「それいの、わしが客さまの話では、騙(かた)りをいふてしばられての、いや偽判を押して括(くく)られてのと。のう初さん、必ず気落しなさんすな」』――ね、すっとしてますよね――『と、いはずもがなの慰めを、問ふに辛さの見舞なり』

と、これで非常におさまりもよくなっていますよね。
これ、誰か読んでくださいな。どなたか。
積極的にね、こう、手あげて、やっていただくありがたいんですけどね。

――はい!(男性) 

あ、拍手ですよ〜。

――朗読

はい、けっこうです。(拍手)
こうやってね、自分で声出して読んでみるとよくわかるんです。
だから積極的に……。
みんな、参加しようと思ってないでしょ。できることなら逃げようと思ってるでしょ。(笑)
手拭いまだあるんです。いまの方、手拭いさしあげます。(拍手)

ここをですね、ちょっと、三味線はいってやってみます。
三味線がはいるとこんな感じなんです。

――錦糸さんの弾き語り

と、こういうことなんです。(拍手) 
文章がこつこつこずんでたら、こうはいかないんですよ。
すーっとすーっと流れてくれんと。
こんなとこでコテコテやられたら、お客さんもしんどいでしょ。
わかったらいいだけであって、たいして深い意味のあるとこじゃないから。
いまのやったらなんとなく流れるでしょ。
近松さんの文章だったら、「というもあり」って。ね、これ必要ないでしょ。

ぼくは近松の悪口を言ってるわけじゃないんですけどね。
やっぱ演劇とするとね、ちょっと無駄やなあという部分が、段々出てきますわね。
だから、いいとこだけとっていったらいいと思うんですよ。
研究するなら――さっきもね、彼女、勉強しとられるて言うてたけど。ちゃんと勉強してよ。近松よくないとか言うたらあかんよ。今日のは忘れてよ。(笑)
また逆にね、悪いとこ見てるとね、いいとこも出てくるんですわ。そう思ったほうが賢いですわ。


◎徳兵衛登場

次、行きますか。段々ややこしなってきますが。
遊女がきて、慰めてるとこですけどね。
原本ですと。

『あゝいやもういうて下んすな。聞けば聞くほど胸痛み、わしから先へ死にさうな。いっそ死んでのけたいと、泣くよりほかのことぞなき。涙片手に』

お初が慰められてるとこですが、かえってつらくなって、死にたい死にたい言ってるんですね。
これをですね、こちらでは。現行の文楽のほうでは、

『「アゝいやもう、いふて下さんすな。聞けば聞くほど胸痛み、いっそ死んでのけたい」と泣くよりほかのことぞなき』

とこれだけですね。
ちょっと短くしてあるんですね。
「涙片手に」というのが抜いてあるんですかね。
次、行きますよ。原本。

『涙片手に。表を見れば、夜の編笠徳兵衛(とくびょうえ)。思ひわびたる忍姿(しのびすがた)、ちらと見るより飛立つばかり。走出(い)でんと思へども、おうへには亭主夫婦。上口(あがりぐち)に料理人。庭では下女がやくたいの、目がしげければさもならず』

なんかこれ、すごいですね。わかります?
「走り出でんと思えども、おうえには」上には、ですね。上には亭主夫婦がいてる。
それから、あがりぐちに料理人がいてる。
下女が「やくたい」というのは、「厄介」なんですけども、「鯛を焼いている」に引っかけてるみたいですね。
それでまた、「鯛の目」と、「目がしげければ」をかけてるらしいんですよ。はい。ぼくも本で調べたんですけど。
こういうとこがうまい。うまいんですけど。
実はこれ、凝り倒れなんです。こんな必要はないんですよ。

徳兵衛がお初のことを思ってきて、それも顔出してくるとまずいんです。つかまってしまうんですからね。
悪いことはしてないんだけど、友達にお金貸したのに、逆に、その印判わしのを勝手につこうたんやと言われて、うっかりつかまったら獄門になるわけですよね。
三十両盗ろうとしたと、贋判したと、大罪になってしまうわけです。
だから顔を隠して、忍んで出てくる。それをちらっとみたお初が、わーっと飛んでいきたいわけなんですよ。わかる? ね? 
(最前列の女子大生に)きみかてそうやろ、好きな彼氏がいたら、ぱっと行きたいやろ。授業抜けても。(笑) ね? 
でもま、みんなの目があるんで、いけないから、ということですよね。この文章は。

これ、原作、読みにくすぎるんで、わたしが読むだけにしておきますけど。
これではあまりにしつこいですわね。
芝居に関係ない料理人とかね、名前出しちゃうと芝居にも出さないかんわけですよ。
そしたら三人遣いでしょ、邪魔なんですよ。
なるべく舞台上はきれいにしておきたいということで、なくしてしもたと思うんですね。
料理人が出てきて、下女がこんなところで鯛焼いてたら、これはうっとうしいですわ。
芝居がぼけますもんね。
ですからこれはやめてしまって、この舞台にはいま、天満屋の亭主と、友朋輩がふたりだけしかいないはずです。
改作ではこうなってます。

『お初は沈むもの思ひ、案じながらも表の方、うつゝともなく目にうつる、夜の編笠徳兵衛の、思ひ佗びたる忍び姿。ちらと見るより飛びたつばかり、走り出(い)でんの気は急(せ)けど、人目の関のうたてなや』

野澤松之輔師匠という方が改作して、作曲もされているんですけどね。
いかがでございましょ。
ぼくはそんな底が浅いとも思わないし、うまいことこしらえていると思うんですけど。
近松原文、もう一遍読みますか。

――原文朗読

ということです。
面白いですね。こうして比べるとすごい面白いんですけど。
ま、ここの部分はそういうことで、無駄をとってしまったと、お考えください。

では、徳兵衛の出のとこをちょっと弾いてみましょうか。

――錦糸さんの弾き語り

こういうふうな浄瑠璃で。徳兵衛はしおしおと出てくるんです。
しおしおしおと出てくる感じがこんな(演奏)ことでしょうね。徳兵衛を暗示するような弾き方でやっておりますが。





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〔錦糸放談〕
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