演劇としての「近松」
         ――『曽根崎心中』を弾いてみると――

Page1  前振りいろいろ




2005年5月23日
東京女子大学学会
2005年度連続講演会
「芸能と日本文学」 の第二回として、錦糸さんのなさった講演をまとめてみました。

三味線の音をお聞かせできないのが残念です。




◎前振りその1・女子大

え、改めまして、野澤錦糸でございます。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)

私、略歴に書いてあります通り、高校卒業しまして、文楽の研修生になったんです。
ですから、大学行ったことないんですよね。(笑)
行きたかったんですよ、ほんとは。
一応受験しましたんですけどね。ただね、試験の発表見に行かなかったんです。
なんでかっていうとね、試験ってのは受けりゃわかりますよね。まるで駄目でした。
で、そのまま文楽研修生に応募したという次第でございます。

いいですね、大学ってね。雰囲気違いますね。
特に女子大ってのは男の憧れの場所でして。(笑)
今日見わたすと、あんまり現役の方がいらっしゃらないんですけど。(笑)
すみません、現役の方、手あげてください。

(うしろの方でぱらぱらと手があがる)

もっと前の方来てくださいな。(笑) こちらのOGパワーっていうんですか、それに押されてますよ。もっと前の方来てくださいな。ほんまに。


◎前振りその2・50分

私は、文楽の三味線弾き。文楽っていうのは、ご存知ですかね。
文楽ご存知の方?

(かなりの手があがる)

現役の人、あんまり知らないみたいですね。
ときどきテレビなんかでもやってます。
昨日まで国立劇場で公演しておりまして、私は夜の部の、『伽羅先代萩』の「御殿」というところを、住大夫師匠といっしょに演奏しておりました。

これが50分間あるんです。非常に気を使う。
もうくたくたなんですわ、実は。もう今日はね、家で寝てたかったんですよ。(笑)
50分間演奏ってのは、ま、くたびれるんですけどね。考えようによっては、一日50分なんですよね。たかだか。
ふつうのサラリーマンなんかは大変ですよね。朝から混んだ電車に乗っていって、一日くたびれて、「また残業や」ていうんでしょ。
ぼくら50分なんです。ただし、50分しかやらしてもらえないんです。
もっとひどいんは、5分くらいで1日仕事終わっちゃう人もいるんです。

だからものは考えようでしてね。
しんどいしんどい思ってたらなんでもしんどくなるし。
逆に考えると、なんやたかだか1日50分やないか。
時間給にしたらすごいんですよ、ぼくら。
だから、そういう考え方をするようにしてるんですけど。


◎前振りその3・文楽と近松

なんでこんな話をしたかと申しますと。

今日はね、近松門左衛門の話。大近松ですね。
これはもう――えーと、近松勉強されてる方?

(ひとり、手をあげる)

近松、素晴らしいですよね。あ、笑っておられますわ。
あとで、読んでいただきますからね、文章。あの方、重点的に。(笑)

で、『曽根崎心中』ですけど、ご覧になったことのある方?

(ぱらぱらと手があがる)

あ〜、いらっしゃいますね。
ただ現行の『曽根崎心中』、原文とだいぶ違うんですね。
どういうんですか、演劇的に作りなおしたというんでしょうか。
原文とはちょっと離れておりまして。
廃曲になってたわけですよね。それを、昭和期に復活した。
そのあたりから、大近松の魅力とは何かというところを、探っていきたいと思っております。

近松がいい、近松がいいという先生もいらっしゃいます。近松がすべてだって。
で、逆にわたしたちからしますとね。近松、困るんですよ。
難しいってのが第一点です。文章が難しい。
それから、七五調になってないとこが多いんですね。
いろいろ、舞台でよく間違えたりとかいうことがある。おぼえにくいということもある。
このへんをですね、じっくり検証してみたいと思いまして、今日はやってまいりました。

でもまずとにかく、文楽ご存知ない方、いらっしゃるんでね。
ちょっと説明せないかん。
文楽というのは、「人形浄瑠璃文楽」と申しまして、人形芝居です。
いまは3人で1体の人形を遣うんですけども。
首(かしら)をもって右手を遣う人と、左手だけ遣う人と、足だけ遣う足遣いというのと。
3人でひとつの人形を遣う。
わたしの商売は三味線弾きです。
この三味線に合わせまして、大夫さんという、浄瑠璃語りがいまして。ふたりで義太夫節を演奏しているわけです。
元祖は竹本義太夫さん。近松という人は、この竹本義太夫と一緒にコンビを組みまして、名作を生んできたんですけども。

ほんとに名作なのかというと、現在ほとんど出てない曲のほうが多いんですね。
これちょっとおかしいと思いますでしょ。
近松が天才的に素晴らしい文章をこしらえたというんやったら、しょっちゅう近松出てないかんわけなんですけど。

たとえば、昨日まで上演してました『冥途の飛脚』、これが近松ですね。
これもですね、残っているのは「淡路町」から「封印切り」までで、「道行」の部分は廃曲になってます。
昨日までやってた「道行」は、これ、新たに曲をつけなおしたもんです。

それから『心中宵庚申』ですと、「上田村」というところだけです。
あとはまた、後世つくりなおしたものですね。

それから有名な出し物では『国性爺合戦』。これはご存知ですね。
中国を舞台にして、スケールのでかい話でね。
中国語らしいことを浄瑠璃の中におりこんだりしまして。中国行ったことないのに、よくこれだけわかるなと。
それだけの知識があった方だと思うし、雰囲気がよく出ている芝居で、これも面白いんですけど。
これも、三段目の「甘輝館」と「楼門」いうところだけしか残ってないんですね。

あとはですね、『心中天網島』。小春治兵衛という有名な話ですけど。
これは一応残ってることは残ってるんですけども、改作されたやつがあるんですね。
『天網島時雨炬燵』というのが改作でして。
どっちが面白いかというとね、改作のほうが面白いんですよ。浄瑠璃らしいんです。

その辺をちょっと含んでおいていただいて。
大近松という人の魅力がどこにあるのか。
でも大近松がすべて完璧というわけではなさそうですし。
近松の魅力というのは、ほんとにどこにあるんだろう。
改作された魅力はどこにあるんだろう。ということで。
頭を柔軟にしておかないかん、ものは考えようということで、さっきは50分の話なんかをしたわけなんですけれども。(笑)
大分長くなりましたね。


◎前振りその4・近松の時代

ではまずですね――えーと、その前にお話しておきますけど。

近松門左衛門が生まれたのは、1653年、承応2年。福井で生まれました。
それから、32歳のときに脚本家になって、『世継曽我』というのを書きまして。
その翌年、1685年に『出世景清』を義太夫さんと一緒に上演。
これでもって、脚本家の地位をかためたわけですね。
これからはぼんぼん書いていきます。
元禄にはいりまして、元禄16年の1703年に、この『曽根崎心中』が上演されてます。
で、ほかにもいろいろな外題をこしらえましたが、享保9年、72歳で亡くなってるんです。

なぜこんな話をするかと申しますとですね。
さっき言いましたけど、いまの文楽の人形というのは、3人遣いです。
3人で1体の人形を遣ってるわけですね。
それが近松の時代は、1人遣いだったんですよ。
この違いがいちばん大きいんです。
いまのような3人遣いになりましたのが、『芦屋道満大内鑑』という外題で。
これは今度の9月に東京にもってきますが。
これの「二人奴」というところ。享保19年に竹本座で上演されてるんですが、ここで、初めてひとつの人形を3人で使うようになったんです。
これが近松の亡くなった10年後なんです。

だから、近松の時代というのは、演劇としても非常に原始的なんです。
人形芝居といっても、ようするにひとりでこうぴょこぴょこ、いらなくなったらひょっと引っこめばいいんです。
出るときはまたぱっと出てくればいいわけですよ。
いまの芝居でしたら、やっぱり上手(かみて)か下手(しもて) から出てこないかん。
それだけの寸法がいるわけです。
だから、演劇として、段々複雑に、複雑になってこなければいけないんです。
つまり、近松の時代は、非常に原始的な芝居だったと思っていただければ間違いないと思います。

それでですね、その次にですね、三大名作というのがあるんですけども。
浄瑠璃の3大名作。これ、ご存知な方。ありますでしょうか? 
三大名作、わたし知ってるわよという方、ちょっと手をあげてお答えいただけますでしょうか。はい、どうぞ。

――『仮名手本忠臣蔵』と、『菅原伝授』と、『義経千本桜』

そのとおりです。拍手してあげてくださいな。(拍手)

今日はね、錦糸の名前入りの手拭い、用意してきたんですよ。これから文章を読んでいただこうと思って。(手拭いを渡して) おめでとうございます。

今日用意してきたのは『曽根崎心中』なんですけども。
お手許に、近松の原文が一枚、いま上演される床本の資料が一枚、ありますでしょうか。
床本のほうは多少文章をいじってあるんですが、いちばん原文に近いのが、中の巻の「天満屋」というところなんですね。
芝居をご覧になった方はわかると思うんですが、有名な、足首を咽喉にあてて自害の決意をするという場面ですね。
これを読み解きながらですね、ちょっと演奏しもって、楽しんでいきたいと思うんですが。

それで前後しますけど、さっきの三大名作ですね。
これは1746年、47年、48年と3年つづきで出まして、大ヒットしたんです。
延享3年、延享4年、寛延元年という年ですね。
この頃が浄瑠璃の爛熟期で、完璧に芝居の形ができあがった時期なんです。
ですから近松はだいぶ昔なんですよ。ほんとに先駆者なんですね。
また、そんな時代にこれだけの文章を書けるというのは、天才には違いないと思うんですけども。
まだまだきちんとした形ができあがる以前だったので、やはり中にはひどい作品もあります。
シェークスピアもそうらしいですね。すべてが名作ではないという。
ところが、シェークスピアというたら、やっぱり神様やとみんな思ってるでしょ。

だから、その辺のところをちょっと解き明かしていこうと。
大近松の魅力。そして、実はあんまりたいしたことないなという部分があってもおかしくないとぼくは思うんですけど。
その辺をですね、現役の人に近松はよくないみたいに聞こえたらいかんのですけど(笑)、近松のよさはどこにあるかということを、考えていきたいと思います。
ちょっと前説が長くなっちゃっいましたね。



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