文楽この一年 2006年



 
    
[1] 仮名手本忠臣蔵 第2部&3部 :9月24日千秋楽 東京 国立劇場(小):2006/12/02(Sat)

いい舞台でした。
ひたすら舞台に引き込まれていました、玉男さんがお亡くなりになったことはまったく知らずに。
帰宅後、訃報に接し、涙し、技芸員の皆さんが見事に舞台を務められたことを思い、また涙。
忘れられません。
[2]  全体を通して :一年を通して :2006/12/03(Sun)

文楽の三味線弾きの姿に惹かれて聞き続けているが、どうも近年の若い人に、その美しい姿勢を保てない人がいる。
もちろん音も悪い。
自分の舞台姿を確認して欲しい。
身体をゆする、顎が上がる。
見台にしがみつく大夫も嫌いだが、邦楽の美しさは情念を内に秘めて表現する力だと思うので、日本人の美意識の伝統を伝え守ってほしい。
[3]  喜内住家の段 :一月・文楽劇場 :2006/12/04(Mon)

「広がる広がる住大夫と他の切場との差」
住大夫の前後でぶち壊すベテラン大夫に閉口。
差が縮まるどころが、住大夫の完全独走状態。
千歳、津駒、文字久、松香の堅い足音は聞こえる。
彼らが住大夫の前後務めるべき。

玉男師匠の真の後継者は未定。
静止した姿がいつもぐずぐずでは、後継者云々以前の問題が。
玉男師匠の芸を、心底惚れ抜く気持ちだけは、 言葉にしない、誰にも負けない! そういう堅い、寡黙な人形遣いが、言葉っつらでなく、人形の所作で遺志継ぐと思う。
[4]  喜内住家の段 :一月・文楽劇場 :2006/12/05(Tue)

お正月公演には地味すぎると批判もあったらしいが、聞けてよかった。
良くぞ今回大阪で出してくれたものだ。
住大夫さんのほかに、今後この演目を語れる大夫がいるだろうか。
住大夫さんの真骨頂と、何度も聞いた。
願う!住大夫さんに続く大夫の出現を。
[5]  「心中天網島」より「北新地河庄の段」 :11月大阪本公演 :2006/12/10(Sun)

いつもホームページを楽しく拝見しております。
文楽を知って2年目、すっかり住大夫師匠&錦糸師匠の織り成す浄瑠璃の虜になりました。
今年は、お陰様でお二人の公演は16回を拝聴することが出来ました。(でも、もっともっと聴きたかったです!)
「今年のベスト1」を選ぶのは余りに辛すぎるので、「公平を期すため(?)」一番最近聴いたものを掲げます。

東京(2月)で3回、大阪(11月)では2回聴きました。
聴くたびに、好きになってしまう浄瑠璃です。
東京在住なので、大阪公演は1回限りと思っていたのですが、11月に聴いた際にあまりに素晴らしく、もう一回急遽日帰りで伺いました。  

住大夫師匠の言葉でグッと胸に来た後、錦糸師匠の心の琴線に触れる一撥で涙がこぼれる…、そんな浄瑠璃でした。
とにかく孫右衛門が絶品でした!

個人的な感想では、「治兵衛の兄」と言うより、大分「小春寄り」の立場に立っているように思いました。
でも、そんな孫右衛門は、客席の我々に温かい「情」を投げかけてくれました。

後半部分で、彼が、小春の守り袋から「小春様参る、紙屋内」の手紙を取り出したあと、
「勤めの中にもそれほどまで。
イヤサ真実のない女郎の常じゃわい。
最前の水臭い詞は、かういふ状が来てあるから。
…思ひ廻せば廻すほど、をかしいやら、不憫なやら、あんまりで涙がこぼれる。
ハハハ…」
ここの部分の、孫右衛門の何と慈悲深かったことか…。

今でも思い返すと、涙が出てきます。
そして、孫右衛門から、治兵衛への切り替えの鮮やかさ!
しんみりしている時に、まるでその感情を逆なでするかのような、無分別な治兵衛の一言一言が、心に突き刺さりました。

↓ 最後の部分、孫右衛門と治兵衛とのやり取りです。

「サア、そんなら同道しませう。先へ往きや」
「ハイ」
「先へ往きや」
「ハイ」
「エエ、往きやいの」

表面上は、もちろん治兵衛に語りかけているのですが、住大夫師匠の「孫右衛門」の本心はもっともっと奥深いところにあるのですね。

今思い返してみると、ひょっとして、傷ついている小春を庇うために、敢えて早く治兵衛を立ち去らせようとしているのか…。
単純なやり取りのうように見えて、孫右衛門の心の奥深さが伺えました。
しかし、何度思い返しても、人生経験の少ない私にとって、彼がどこまで奥深く考えているのかは計り知れません。
私自身が、まだまだ人生の勉強不足ですね。

同じ体験は、昨年の「沼津」(博多公演)でもさせていただきました。
とにかく私は、最後の20分間、舞台の方は見ることが全く出来なく、ただただ床のお二人の方を泣きながら見つめるだけでした。

「人が人を想う」ということはどんなことなのか、客席で教えていただきました。
さんざん泣いた後、芝居を終わると今度は心の中がポカポカ温まってきました。
やっぱり無理をしてでも、もう一度来て良かった。
何もかも手一杯で自分だけしか見つめられなくなったとき、あの時の浄瑠璃を思い返すようにしています。
自分の一生の宝物です。

11月の公演は、今年最高の瞬間でした。
住大夫師匠と錦糸師匠に心から感謝いたします。
[6]  岡崎(切場前半) :11月大阪 :2006/12/11(Mon)

ついに聴けた大曲「岡崎」。
今年必ずしも好調とは言えなかった綱大夫さんですが、さすがに渾身の出来!
「遠山寺のかねてより」からぐいぐい惹きつけられる義太夫節の醍醐味!
「切りかけた煙草の刃金、胸を刻むと人知らず」
まさに聞く者の魂まで刻まれる緊迫感でした。
綱師の健在と清二郎さんの成長に感謝したい思いです。
[7]  夏祭 :8月内子座 :2006/12/12(Tue)

住大夫・錦糸さんはいつもうっとりなのですが、夏祭では 熱演ぶりに団七と千歳さんがだぶって見えて すっかり千歳さんのファンになりました。
それをきっかけに若い太夫さんにも眼が行くようになって文楽を観に行く楽しみが増えました。
[8]  忠臣蔵山科 :9月国立劇場 :2006/12/15(Fri)

住大夫師が前半を語ったあとはいつも物足りなく、残念に思うが、この段はあまりにもひどかった。
前半でつくりあげた世界を、ぶちこわしたとしかいいようがない。
住大夫師にならぶ者がいない事実はしかたがない。
だから、前半でつくりあげた世界をさらに発展させることは望めなくとも、せめてなんとか維持できる大夫に、あとを引き受けてもらいたい。
[9]  全般として :全般として :2007/02/17(Sat)

清治さんの技術は素晴らしくていつも聞き惚れてしまうのですが、切場を受け持たない余裕なのでしょうか、張り詰めた感が見えません。
若い大夫さん相手ではやっぱり頼りなく力も入らないとは思いますが、長い詞の間、撥を持った手首を落ち着きなく動かしたり、客席に聞こえるほどの大きさで調音するのは床をみているこちらにはとても残念な仕草です。
いい音を出せばいいというものではないのではないでしょうか。

 


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